集・中心的の意味

 

最近の写真は、コンピュータに頼り、そのコンピュータは幾種類も加工の技を持っています。

 

私も、これらの技を少し使えます。

それらの中の“変形”なる方法で石の格好を変えてみました

 

[金剛・変形]は、正常の山の部分のみを変形させました。

つまり、山の頂点を右に引っ張ったものです。

 

この二つを見比べますと、変形の方は、右の斜めに倒れた感じの部分に視線が行き、どことなく散漫で、石を見る視点が定まりません。

 

正常の方は、視線が石の中央部で安定し、その引き締まった様子は、石そのものに存在感を感

金剛・元

金剛・変形

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遼遠・元 

遼遠・変形

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[遼遠・変形]も主峰のみを変形させています。

受ける印象は、この山形である[遼遠]にても、[金剛]と似た傾向になっています。

変形の方は、山らしいのに何か不満で、まあ[だらしない]とでも言えるでしょうか。

これに比べると、元の方は[毅然]としています。

 

この二つを見くらべて、[石を見た瞬間に石の中心部に視線が行くこと]が大切であると判明しました。

 

土坡石、山形石に限らず、石の主峰又は主部は、石全体の中心へと向かっていなければならないと言えます。

 

殊に、この遼遠では、左右の逃げが無く、むしろ、入り江もあるのに、変形させた石の格好は何とも厄介です。

変形させたような格好の石は、切断することも、台に載せることも、所有することも我々はしないでしょう。

 

 

これらを見ていると、石に[逃げがない事]と

[主部が中心に向かっていること、つまり、外側に倒れていないこと]は、

必須の条件で、

集・中心的である事の意味はここにあることになります。

 

 

 

平野の役目は

 

 

さてここで話題を変えて、山水石で[平野を持つこと]はどんな役目をしているかに就いて考えを進めます。

 

前項、前々項の【12_平野を持つ石1 土坡石】【13_平野を持つ石2 段石】の2つの項目は、[平野]が主役である石達のお話です。

また例えば、【21_雨宿り】【44_香流】【45_飛台天空台】なども石の一部に[平野]を持つことで、成り立っています。

 

これらの現象は、山水石で[平野というもの]は、思いの他重要な役割をしているかも知れないことを暗示しています。

 

そうです。山水石では、誰でも先ず第一に山々を意識します。

 

主に、山々を意識する観点で[逃げがない事]と[主部が中心に向かっていること、つまり、外側に倒れていないこと]を考えてきました。

しかし、ここにきて、[平野]を人間がどのように感じてきたか、を考えるのは無駄ではないとであろうかと思い、次項から【15_平野?】【16_平野の纏め】を書きます。

 

 

今では望みにくくなりましたが、うんと遠い所まで見渡せる平野に立って見た場合を写真で見てみましょう。