大 観
【大 観】写真26
[左右11cm]
景抜群。台なくてもこの様子で安定し、底は平ら。
座り抜群。
山のようであり、土坡かも知れなく、小さいのに多くの山水景を持ち、それでいておおらかなものを全体に醸し出しています。
言うまでもなく稀有な石です。
産地は員弁川。
大垣市に住んでおいでの[川崎さん]という友人宅の庭の石置き棚にこれはありました。
まだ、土にまみれていて白い色であったこの石を手に取り『これいくらで売ってくれる?』と聞く私に、彼は『上げるよ』と云いました。
貰ってしまったものです。
この[川崎さん]は【深遠】【大観】【崎橋】など素晴らしい石を私に譲って下さっています。
しかし、残念なことに去年(2006年)に亡くなられました。
今になって思えば、水石の鑑識眼で一流のお方であったと思います。
誰にも寿命はあるものなので、致し方ありませんが、惜しいお方でした。
さて、この【大観】は小さい石なので、毎日持って歩き、手で撫でている間に見事に濃い色となりました。
我が家で最高位の石の一つです。
稀代の名品ではないかと、ほくそ笑みます。
入手した頃より、十数年経ったこの頃益々貴重な石に思えてきています。
今も私の枕元がこの石の住所です。
枕元を住所にしている石は、他に二つあり。【文明開化】と次の【光悦】です。
さて、このあたりで、自採石を中心に述べさせてください。
私は、自採も買った石も同じ土俵で感じられるように心掛けています。
石を買う場合でも、幸運がなければ自分のものになりません。
石は製造したものではない為に、デパートみたいな場所で何個も同じものを売ってはいません。いくらお金を積んでも縁が無ければ自分の家には来ない訳です。
石を拾うのも同じです。結局は[運に恵まれる事と優れた鑑識眼]を持つことです。
そうなりますと、買えた石も幸運と鑑識眼のおかげとなり、つまりは、幸せ感に於いては同じ気持ちです。
とは言うものの、自採の石というものはどこかで違う思いがしているかも知れません。
自分ではよくわかりませんが、この先、何個かの自採石を見てください。