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[左右58cm]
この石は、本文で写真1【大八洲】として載せています。
どの石でもそうなるのですが、こうして雲を入れてみると、どことなくどこかにありそうな風景感になるところが嬉しいです。
瀬田川の石には流れるような曲線・曲面を持つ点が特徴と言われています。
この【大八洲】はその特徴を存分に持つ、瀬田川石独特のものです。
石は展覧会に出品してみると、家で見ていたのと違う価値のようなものを見いだすことがあります。
この【大八洲】は図体が大きかったせいもあるでしょうが、京都の九十九会で建仁寺の奥の左右2間はあろうかと思える大きい床に飾った時、堂々としていました。
訪れる多くの人たちが立ち止まり、暫し眺めていられた事が印象に残っています。
静かな雰囲気をかもしながら、人を魅きつける存在感に非凡なものを感じました。
軽く叩くと美しい金属音を発し、鋼鉄かのような硬質さを感じさせます。
そのような硬度を持ちながら、なだらかな曲線・曲面によって硬さに伴う冷たさを感じさせません。
むしろ柔軟さを感じさせ、やさしさをも感じさせる瀬田川石は、我が国の宝ものと私は思っています。
この手の瀬田川石が持つ雰囲気は世界に誇りうるものです。
こんなに誇りうるものなのに、石は【世界文化遺産】にならないでしょうか?
文化遺産といえば、その多くは、人によって創られたもののようです。
創造するプロセスに[選ぶ行為]があります。
しかし、創造する人の[選ぶ行為]が鈍くては上等なものは出来ません。
素晴らしい石を探し得ても、行いとしては[選ぶ行為]しかしていません。
創造物との違いは[選ぶ行為]以外のこと、例えば、[かたちを変える]などのような手を加えていない点です。
水石は創造物ではありませんが、才能に恵まれないと、良いものを選ぶことも難しいと思われ、素晴らしい創造物を創り出せる事と、素晴らしい水石を発見できる事と確率は似ているのではありませんか…
さて?