集・中心的の具体例

 

[逃げ]の説明のために採用した【遼遠】は、[集・中心的]な様子が大切なものである事を説明し、納得して戴くために、この【遼遠】は絶好の[かたち]を具備していると考えた為です。

 

若し、【遼遠】の主峰が石の中心を向いていないなら、散漫であり、焦点が定まらず、見る人の視線を捉えられません。

美しくなく、場合よっては山を連想しないかも知れません。

 

これを、●集・中心的の意味の項目で、【遼遠】の写真を変形させ、[集・中心的]でない格好にしてみました。つまりで[集・中心的]であるものと、[集・中心的]でないものと比較実験しています。結果は明白になったと思われます。

 

お楽しみにご覧下さい。

 

さて、この石のように主峰が石の中心に向かっている石には[芯]を感じます。

芯を感じることは[集・中心的]な様子になっていて、視線が中心部に安定するからであると私は考えております。

【遼 遠】写真3-2 

[左右57cm]

 

[集・中心的な様子]であることは、実に重要なことです。

 

[集・中心的]であることは、山水石が具備すべき条件として[逃げ]があってはならないと同格の必須条件であると私は云っています。

 

蛇足かも知れませんが、この格好を更に具体的に書いてみます。

遼遠で見られるように、主峰の右側(外側)に流れる線の角度より、左側(中心)に流れる線の角度の方が鋭いことが大切であるとなります。

 

そして、この格好は、主峰が(左右で見て)石の外側に反っていないこと意味しています。

 

 

視点が石の中央に安定していられることは、

中央に安定したまま石全体を無理なく感じられ得ることが、最大の利点です。

 

つまり、視点が石の中央に安定していられることは、

一個の石で山水の風景を感得出来る為の大きい要素であると、言っているのです。

 

 

 

 

 

 

ここで[山形石]を少しお休みにして、次は平野を持つ石を話題にします