山水石を見る

ここで、石を鑑賞する場面とは、どんな様子のものであろうかを思い浮かべましょう。

 

先ず、鑑賞は部屋の中で行います。

鑑賞は、石を水盤又は台に載せ、それらを卓(ショクと言い、小型の机のようなもの)とか地板の上に置いて行います。

 

 

ここで一番見逃してはならないことは、人は石を見下ろしている事です。

 

 

普通何気なく見ている[上から見下ろす見方]は、既に長い歴史を持っているものですから、正しい方法であると思わなければなりません。

 

しかし実は、ここに、つまり[上から見下ろしても変に感じない為に]見過ごせない二つの条件があります。

 

 

条件その[1]は

人は現実の山を見下ろした経験が無いのに、見下ろして見ても[大自然の風景にある山]をイメージし得る格好の石があるらしい点。

 

条件その[2]は

更に具体的にみて、この格好とは、石を近距離から見ている、つまり、両眼の視差が機能している筈の至近距離から見ていて、[視差が機能し得ない遠距離にある山]を無理なくイメージできる格好であるのです。

 

ここには、何か錯覚に似た秘密があると考えざるを得ないと、私は長い間考え

ていました。

 

 

 

 

人に観て貰うものは

 

突然ですが、これらのテーマに具体的に入る前に、人に観て貰うものが普通に持ち合わせているものは、どんな性質のものかを考えておきたく思っています。

 

 

ここで、人に観て貰うもの、盆栽と生け花はどうなっているのか観察してみましょう。

 

そうです。盆栽と生け花は、花も枝も樹の軸も観て下さる人の方向に向いていて、『観て下さい』と、そして『一緒に美しいと感じ合いましょう』とメッセージを送っているかのようです。

 

石は、天然ですから人工的に観る人の方向に向けられません。

 

しかし、石を選ぶ時に、「石は見る人の方向を向いていて、観る人に何かのメッセージを送っている格好が望ましいものである」と心して選ぶ行いをして欲しいと私は思っています。

 

少なくとも、自分の世界にのみこだわり、観る人を意識しないのは良い事ではありません。

 

ここで再び視覚について

 

 

私は、先ず左右二つの眼球を顔に持ち、立って歩く人間が風景・山々・平野などを、どのように感じているかを観察すべきであると考えます。

 

そして、部屋の中で鑑賞する水石・山水石はどのような性質を持つと[観る人に何かのメッセージを送っている格好]が得られるかを考えるべきであると思っています。

 

それらを大きく心におき、先ほどの[人が石を見下ろして鑑賞していて何も不自由でない]事への二つの条件に迫ってみます。

 

これは新しい観点の考えですから、馴染み少なく分かり難いかも知れませんが、[18_立ち石]後半の[結論]とその近辺のリンク先などを、お読みくださると、自ずと明らかになる面もあろうかと期待いたしています。