矢 合 川 石 1
水石の産地として全国的な知名度はゼロに近いでしょう川、矢合川(ヤゴウガワ)は三重県にあり、名阪高速道路四日市インターの近くを流れています。
この川を私が知ったのは、名古屋市にあった水石の店“奈古埜”でです。
店主の話では、石ブームの頃店を訪ねたある人が、店にあった瀬田川の石を見て『この石と同じ石が家の庭にあるよ』と云ったとのことです。
どこに住む人かと確かめたことに端を発し、私は矢合川に辿り着きました。
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矢合川石 No.1
[左右13cm]
三重県で有名な産地は、ご存じでしょう員弁川と青川です。
それにも拘わらず、私はこの矢合川とその南側にある無名な川あたりから探石を始めています。
この矢合川は田園地帯を流れるとても細く目立たない川です。
場所は、名阪高速の四日市インターを出て西に行き、初めての道を南、つまり左折します。
踏切をこえてほんの数百メートルでこの道は橋を渡ります。この橋の下を流れるのが矢合川です。
最初の探石場所は、この橋を渡らないで手前の川に沿った道を左折します。
すると、先ほどの名阪高速の下に行きます。ここで車を停めて川に降りれば、もうそこには瀬田川石のような質の石があります。
この川は東西に流れています。
この場所の上流に行き左右を眺めると分かりますが、川の南と北が丘陵になっています。
丘陵に挟まれた盆地?のような平野の一番低い場所をこの矢合川は流れているわけです。
以前この川に入った時に雨が降り出しました。
急に増水して慌ててかけ登り難を逃れたことがあります。
後にこの地域に住む人に知り合いがいて聞きましたら、ごくたまに集中豪雨があり、この小さな川は氾濫すると言い伝えられているとのことです。
あの増水を体験しますとそれは本当であろうと納得します。
『この石と同じ石が家の庭にあるよ』と云った人の家は、恐らくこの川の近くにあったのでしょう。
きっと氾濫によって川から飛び出した石が庭に転がったのであろうと思われます。
さて、矢合川石の一番目に登場したこの石は、1998年に東海石友会石の探石会で矢合川に行った時、丁度名阪高速の下で見付けています。
ご覧のように梨地肌です。名古屋市に住んでいるからでしょう私の好きな川に庄内川があります。
庄内川石にも梨地肌があり世間では“瀬田川と類似している”と云われています。
しかし私は、見たところ類似は感じますが、同じ種類ではないと考えています。
その理由は、或るハロゲン水素酸に対する反応がまるで違うからです。
それは瀬田川の梨地肌の石の表面をグラインダーで削り、庄内川石の梨地肌の石の表面も同じく削り、その石を、例のハロゲン水素酸に漬けて置きます。
その後、石を取り出しワイヤーブラシで擦り表面を観察しますと、瀬田川石は梨地肌の凹みになりますが、庄内川石は凸になるのです。
何故かは全く知りませんが、似た様子の梨地肌でも、化合物の組成が瀬田石と庄内川石とでは違うと見るべきです。
しかし、この矢合川石の反応は瀬田川石と同じに凹みます。つまり、矢合川石は瀬田川石にとても近い質の石であると私は考えています。
もう一つ、庄内川石が異質である話があります。
どの川の石でも、川の水流の中で擦れを経験中に発見されたものと、大昔に擦れたもののその後何かの理由で地中などに埋まり、浸蝕を受けた石を発見することがあります。
後者を瀬田川石では“沢石”と云っています。
瀬田川の沢石は表面が浸食を受けていて、表面をワイヤーブラシで擦りますと、土埃のようなものが出て思いのほか減ったり凹んだりします。
庄内川石でその手の現象の石を見たことありません。
ブルトーザーが川底を掘り返し揚げた石でも庄内川石ではワイヤーブラシで土埃を出しません。
しかし、この土中に長くあった矢合川石は土埃を出します。
矢合川のある支流を深く中に入りますと、支流の流れに沿って出来た藪が川の流れで下から崩れて、石が藪の竹の根っこの下に土にまみれ累々と積み重なっている場所があります。
その場所は何百年〜何千年〜何万年前に川であり、地殻変動で地上に盛りあがった様子です。
そこには過去に川擦れした痕跡を持つ石があります。
その石を持って帰りワイヤブラシで擦りますと土埃が沢山出ます。
この場所で見付けワイヤブラシで土埃を取った石は、次の[矢合川石No.2]です。
さて、この[矢合川石No.1]主峰の格好を滅法気に入っています。
この主峰の格好をした山はきっと現実にあるものではありません。しかし、屹立した感じに心惹かれるのは私だけでしょうか?
矢合川の水の流れは実に緩慢です。
この緩やかな水流がこの石の滑らかな面を作ったとは思えませんから、大昔に急峻な水流がこのあたりにあったと考えるのは楽しいではありませんか。