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[高さ23cm]

 

本文に【文明開化】として出てきます。

 

姿石に雲と空とを入れるのはどうかしら?と時に良くないことをしているような気になることがありましたが、こうして見ますと、違和感なくて驚きです。

 

雲と空とは天然で、石も天然。結局はマッチするのでしょう。

 

このマッチは驚きと共に、悦びをも与えてくれました。

 

石が美しいと感じられる事は、それは全て良いことであって、満足すべきであり、目的にすべき事でもあると私は思います。

 

さて、文明開化なる言葉は、明治時代、外国から文化、文明が入ってきて、先進的なお洒落な男性が、シルクハットをかぶり、マントを着た姿で歩きました。これになぞって付けられた銘です。

小林宗閑さんが名付け親。

 

[太陽の塔]の原型になったと思ってしまった石のお話を…

 

 

[石ブーム]と言われ、日本全国的に、誰もが石に夢中になった昭和40年の頃に、有名な文学者、芸術家が続々と揖斐を訪れておられます。

 

 

 

その中に、あの岡本太郎さんがおられたようです。

 

この石の写真を、石ブーム全盛の頃に出版された【日本??名品集】のような名称の小形本で私は見た記憶がありました。

 

その後、大阪万博で【太陽の塔】を見たとき、訳もなく「あの石のイメージだ」と思ってしまいました。

 

あの本があったらおもしろいのにと、探していましたこの頃、偶然、“愛石三昧”なる本に載っていることを知り、驚きと共に大喜びして、ここに載せさせて戴きました。

 

“愛石三昧”は、昭和42年9月10日初版。

著者:小林宗一。発行所:樹石社。

 

なお、岡本太郎さんは「銘付けと箱のおもて書き」をされただけで、当時及びその後にこの石を所有者していた人は、高間さんという揖斐のお方のようです。

 

【忘却】が何を意味するイメージのものであったかわかる術はありませんが、この石【忘却】が、岡本太郎さんのお心の中で、徐々に成長し変化してあの【太陽の塔】になったと私は感じています。

大阪万博で、肩と手がない塔の上に顔がついている【太陽の塔】を見た瞬間に、私は岡本太郎さんが「銘付けと箱のおもて書き」をされた【忘却】という揖斐川石を思い起こしてしまいました。

 

皆さんは、どうお感じになりますか?

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